愛知旅行二日目。でも愛知ではなく、やってきたのは岐阜県の関ヶ原。
駅前でレンタサイクルを借りる。
今回の目的地は、浅野祥雲三大聖地のひとつ、「関ヶ原ウォーランド」。
二つの聖地「五色園」と「桃太郎神社」は、すでに前回の旅行で訪問済み。
関ヶ原の町を走ること15分程度で到着。珍スポットだし、空いているだろう・・・、と思っていたのだが、
観光バスがたくさん。まあ、関ヶ原といえば有名だし、そりゃそうか。連休でもあるし。
ウォーランドのすぐ隣にはお寺があり、こちらにもひとつ浅野祥雲作品がある。
だが、横にある「ノーモア関ヶ原」という標語のインパクトに、さすがのアサショー作品もかすんでしまった。
確かにたくさん人が死んではいるが・・・。もうちょっとなんか他の言い方があるだろ・・・。
まあ、それはそれとして、入園する。
この関ヶ原ウォーランドは、浅野祥雲作のコンクリート像を用いたジオラマで関ヶ原の戦いを再現しているテーマパーク。
ここに自分は今回、5時間くらい滞在しました。 何でそんなに居たのかと言いますと
浅野祥雲三大聖地の中で、一番コンクリート像の数が多いからです。なんとその数、200体以上。それをほとんど全部撮りました。さすがに今回全部は掲載しないけど、以下にその一部を。ほんの一部です・・・。
さて、まずは血に濡れた刀を抱えた武士。
何処に行くのか
首を持って。
こっちでも首を運んでいる。
こんな仕事は嫌だな・・・。
多分ここに向かっている。
徳川家康の陣。首実検場。
なので、家康が見ているものは、当然、
首。
ちなみにこの首は湯浅五助。彼は全身バージョンで園内の別のところにも登場する。2箇所に出てくるのは五助だけです。
※当たり前だが、この場面が実際に行われた場所は関ヶ原にあり、
今では以下の写真のようになっている。
しかし首実検を見守る部下たちも、まさか後世にコンクリート像になってしまうとは思っていなかっただろう。
松平忠吉。
平成21年から行われた修復で、こんな顔になったということだが。。。浅野祥雲のオリジナルはどんなだったんだろう。
家康陣を出て、ウォーランドの中心部へ。
そこはまさに天下分け目の戦場。
もちろん石田三成もいます。
一体一体の像に表情があって、それぞれに性格とか気持ちを感じる。こいつは意地悪そう。
お酒が好きそう。
気が短そう。
適当そう。
真面目そう。
胃腸が弱そう。
冷酷そう。
なんで裸なんだ。。。
プリケツ。
ファンの間ではよく知られていることだが、アサショーは馬を作るのが上手い。
あまりうまくないのもある。
鉄砲隊もあちこちに。
弓矢を持っている像は少なかったな。実際のところはどうだったのだろう。
ここの作品は動きがあるものが多いからか、アサショー定番の「バランスを整えるための支え」が、よく使われている。
かわいい走り方の人が多い。
長い槍を持った作品も多い。迫力がある。
曲がっていたり、折れてしまっていたりするものもあるけど。
動きのあるダイナミックな作品が多いのは、他の聖地とは違った特徴かも。
晩年の作品とは思えないくらい。
やられる直前の場面も何体か作っている。どれも恐怖におののく表情がよくできている。
これは弱そうだ。
首実検場の首の人、五助さん。
悲しむ家臣たち。
五色園の頃より上手くなっている。
写真はまだまだあるのだが、この辺で。
それにしても、こうやって戦場のジオラマのなかにいると、「関ヶ原の戦いでは人がたくさん死んだ」という事実が、多少なりとも実感できる。これは歴史の授業ではあまり気にしないところではないだろうか。
そう考えると、関ヶ原ウォーランド、すごい。
たしかに「ノーモア関ヶ原」かもしれない・・・。
でもおまえは黙ってろ。
なお、関ヶ原ウォーランドに長く居すぎたため、普通の関ヶ原観光はほとんどできず、そのまま名古屋に帰りました。